1.業務連絡ではない、大切な話
恐れ入りますが、
今、親御さんがご健在で、親御さんと和やかな雰囲気で、
ある程度、きちんとした会話(意思疎通)が可能な環境にある場合を想定して書かせていただきます。
つまり、親子で、ある程度、
それぞれの考えや意見、感情を互いに素直に表現して理解し合えるということが前提です。
そういう恵まれた状況の方は、もしかしたら、あまり多くないかもしれません。恐れ入ります。
(既に親御さんとは死別、あるいは生別されている方や、
病気やその他のご事情で、今、親子で会話することは不可能だったり、困難だったりする方もおられることと思います。
その場合は当てはまらないことがあると思われます。申し訳ございません。)
ということで、
近い距離に住んでいて、親御さんとはよく会っているという方や、
親御さんとは遠く離れて暮らしているが、できるだけ連絡を取り合っているという方は、
どうぞ、お読みいただき、ご参考にしていただければ幸いです。
それでも、そうした方たちでも、
いわゆる業務連絡(用件のみの連絡、お困り事への対処など)ではない、
大切な話をする機会はなかなかないのではないか、と推察いたします。
親子特有の、ある種の照れくささのようなものもあるかもしれません。
また、そうした大切な話を聞くには、互いに少し落ち着いている状況と、
まとまった時間が必要になりますので。
成人を過ぎたお子さんであれば、過去、お子さんが子どものころのような、
親御さんがお子さんを守り育てるという親子関係は変化していますね。
そのうち、お子さんも年齢を重ね、公私ともにご多忙となり、社会的責任も増していく中、
壮年期のお子さんの勢いとは逆に、老いて弱っていく親御さんを前にして、
お子さん側が主導権を握ってサポートしている、という状況の人もおられるでしょう。
親御さんの日々の衣食住に関することや、通院の付き添いとか、家電製品のトラブル対応など、
目の前のお困り事や課題解決のため、精一杯サポートされて、
ゆっくりと親御さんの話を聞いてあげるような余分な時間とエネルギーは、ほとんどない、という方も多いでしょう。
本当にお疲れ様です。
でも、だからこそ、
時には、心を落ち着けて、業務連絡ではない、大切な話を親御さんからゆっくりと聞く機会(場)を作っていただけるなら、
と思います。
そのうち、そう遠くない将来、親御さんのご体調が徐々に変化していき、
視力や聴力や気力の面で支障が出てくると、
親子で、なごやかな、かみ合う、スムーズな会話は困難になる事態が訪れるかもしれません。
どなたも、与えられた時間は有限です。
親御さんは、心の底では、「今はまだ頭がしっかりとして、記憶もはっきりして、
きちんと話せる。今のうちに、自分の話を聞いてほしい」と思っておられるのではないでしょうか。
確かに、じっと黙って、人の話を聞いてあげるという行為は受け身で、たとえ興味深い内容だとしても、
少し忍耐力のようなものが必要だと思います。私自身もそうです。
逆に、話すことは放すこと、伸び伸びと自己表現できて、心の中を開放して(オープンにして)、
聞き手に丸ごと肯定して受け止めてもらえるならば、それは、とてもうれしいことですね。
人は、誰もが、自分の思い、気持ちを話したい、自己表現したい、
それは、人の、根源的な欲求のようにも思います。
だからこそ、あえて努力して、意識して場と時間を作って、時には聞いていただければ。
案外、今まで聞いたことのない、全く知らなかった、
親御さんの子ども時代の楽しかった話や、青春期の生き生きとした話がたくさん聞けるかもしれません。
時々言っていた、あのことは、そういう背景や事情があったのか、と知る機会にもなります。
もちろん、
親御さんとしては、あまり思い出したくないような、失敗したり、挫折したりした、過去の辛い話も出てくるかもしれませんが、
ならば、親御さんが、そこから頑張って、どう気持ちを立て直されて、今に至っているのか、
というようなことも聞けるはずです。
そのようなプロセス(過程)を経て、
家族史(親御さんの自分史)という成果物にまとめるところまでは至らないとしても、
お子さんによる親御さんへの理解は一段と深く広く進み、
親御さんにもお子さんにも、双方に、
生きる力を見つけることができたり、生きる力を引き出すことができたりするようになると、
workfor ワークフォー は信じています。
(それでも、どうしても、親御さんが自発的にお話なさりたくない、ということは、
あるのかもしれません。そういう場合、無理に聞き出すことはよろしくないでしょうね。
いずれ、話してもらえる機会が来れば、よし、来なければ、それも、また、よし、と思うしかありませんね。)
3.例外は、あり
最後に、何事も例外は、あります。
もう親御さんご本人には会えない、聞けない、確認できない、としても、
周囲の人に取材するなどして調べながら、改めて、親御さんの足跡をたどってみることは可能です。
ひとつ例を、ご紹介しましょう。
私事で恐縮ですが、カンレキ過ぎた今なら、聞けるかもしれないのになあ、という私自身の悔恨と共に書いた、私の文章です。
この度、1989年(平成元年)に満58歳で病気で突然死した実父の足跡を、改めてたどらせていただき、
私が所属する、岡山県エッセイストクラブ(OEC)作品集「2025位置(いち)Position(ポジション) 第23号」
(2025年4月1日発行)への提出作品として、1編のエッセイ作品にまとめました。
結果、他のクラブ会員と共に、計55作品のうちの一つとして、
この作品集『2025位置 第23号』の第四章冒頭に掲載されています。
(一部、不正確な記述があるかもしれませんが、故人の父に確認することは、もうできません。その点はご容赦ください。)
詳しくは、こちらへ。(ワークフォー サイト メディア掲載)
表題は、簡略に切り取れない、「ある軍国少年の一生」です。
(ちなみに、恐れ入りますが、この作品集『2025位置 第23号』は、OECとして販売しております。
ご購入をご希望の方は、お手数ですが、岡山県エッセイストクラブ(OEC)のサイトから、
その旨、ご連絡(PCメール送信)していただければと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
定価1,320円(税込))
岡山県エッセイストクラブ(OEC)のサイトは、こちらへ。
以上、ご参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
↓
自分史づくりで、お困りの際は、
どうぞ、お気軽にworkfor ワークフォー に、ご相談のご連絡をください。
自分史作成の個別電話相談(初回のみ無料、30分間)のお申し込みは、こちらへ、どうぞ。
ーーー
〇生きる力を見つけるための「自分史」
〇生きる力を引き出すための「自分史」
