メディア掲載

2025.04.21

岡山県エッセイストクラブ作品集 『2025 位置(いち) Position 第23号』

岡山県エッセイストクラブ(OEC)発行

  • 第四章
    簡略に切り取れない、「ある軍国少年の一生」(久本恵子)

 簡略に切り取れば、昭和5年(1930年)生まれの実父は、平成元年(1989年)に
満58歳で病気で他界しているが、昭和20年(1945年)3月、戦意高揚の時代に、
数え15歳(満14歳)という若さで、予科練(よかれん)に応募して甲種合格となり、
自ら志願して、通っていた学校は休学して、家族に別れを告げて任地に向かった。

 予科練とは、正式には「海軍飛行予科練習生」のことである。第二次世界大戦中の日本において、
戦争に必要なパイロットや航空要員の養成を目的とした国の教育機関の一つで、満14歳半から
19歳までの若者を対象に募集されていたという。応募して甲種合格して、志願した若者の多くは、
訓練期間を経て、戦場に送られることになっていた。

 父は、戦争の時代といえる昭和初期に幼少期を過ごし、多感な思春期には、お国のために戦地に行き、
兵士として勇敢に戦い、戦場で命を落としたとしても、それは名誉なことだという特殊な価値観の中で
生きていたのだろう。何の疑問ももたなかったとは思わないが、時代の空気を吸い、ある種の誇りと
愛国心のようなもので胸を膨らませて、故郷を離れた。当時多数いたであろう、そんな軍国少年の一人だった。

 父は、通っていた商業学校(現在の県立商業高校の前身)に予科練の募集があり、男子生徒は全員受けるように
言われて受けた。健康で体格がよく、成績もよかった父は、学科や体育の試験や身体検査の結果、甲種合格となった
数人の中に入っていたとか。誇らしかったのだろうか。

 満20歳の男子は、国の徴兵検査を受ける義務が生じて、甲種合格となれば、否応なく召集令状が来る。
父は、その召集に満たない年齢で、自ら志願した。甲種合格で認められて、おそらく意気揚々と出発したであろう父を、
父の両親(私の父方の祖父母)は、どのような気持ちで見送ったのだろう。もう、生きて帰って来ないかもしれない、と
覚悟していたはずだ。今や私も結婚して、子どもや孫がいる身だ。同じような状況で子どもを見送る、
その辛さは想像するだけで胸が痛む。

 その後、昭和20年(1945年)8月15日に終戦となり、父はギリギリ命を拾い、外地の戦場に行くことなく、
故郷の岡山県倉敷市に帰ることができた。たまたま、時代の巡り合わせというか、約6カ月間という極めて短い予科練経験となり、
生きて帰ってこられたわけだが、少年の身で、見なくてもよいものや経験しなくてもよいことをたくさんしたのだと思う。

(以下、略)

~「あとがき」より、一部引用始まり~

 余寒の続くころ、桜の開花予想ニュースが流れてきました。季節はめぐり『位置』の春がやってまいりました。
私たちの作品集『位置』第二十三号を皆さまのお手元にお届けすることができ、編集委員としてうれしい限りです。
今号は会員七十八人のうち五十五人から玉稿が寄せられました。

 作品の内容はさまざまです。興味深い体験談、普段の生活の中で見つけた小さな幸せ、家族への思い、
戦後八十年という節目もあるのでしょうか、反戦を訴える作品もありました。
作者のタイトルへの拘りもおもしろいものでした。思いは伝わります。言葉は目には見えない力を持っています。
その言葉は人生を豊かにしてくれます。書きましょう、書き続けましょう。

(以下、略)

~一部引用終わり~


岡山県エッセイストクラブ(OEC)作品集
『2025 位置 Position 第23号』(A5判、181P、全十章(55編))

2025年4月1日発行
発行 和光出版(岡山市南区豊成)
印刷 昭和印刷株式会社
編集 岡山県エッセイストクラブ
定価 Ⅰ,320円(本体1,200円+税10%)

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